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2007年1月26日 (金)

娘の名前は未来(仮名)と言います。本当に可愛い娘です。娘は私に似て頑固、潔癖症、正義感が強い。でも、世話好きで、幼稚園の年長の頃は、率先して年少の子達のお世話をしてやり、沢山の親御さんから感謝されました。小学校に入ってからも、その癖は抜けなく低学年の子のお世話、また、人付き合いも良く、その温厚な性格から沢山のお友達ができました。一方、負けず嫌いでもあり、ピアノ教室の発表会などでは、いつもひとつ難しい課題に取り組んで頑張っていました。ですから、この娘が...とは信じられないのです。でも、母が妹の話をするとき、いつも「うちの兄妹の中で一番育てやすかったのに...」という言葉を思い出します。すごく親思い、両親が喧嘩などすると、いつも自分のせいじゃないかと割って入ってきました。その娘が、小学校5,6年頃から、少し学校を休みがちになり、どうしたものかとも思っていました。何度か先生にも相談しましたが、娘の性格、お友達状況などから考えてもいじめに会っているとは到底思えない。

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2007年1月24日 (水)

私の妹は二十歳ころに統合失調症を発症し、もう30年近く苦しんでいます。

妹が病気になったときは、私は東京の大学にいました。

郷里から伝え聞いたのは、妹がノイローゼとなり暫く入院した。今は退院してアルバイトをしている。そういったことでした。妹は退院後、アルバイト先で良い人とめぐり合い結婚しました。しかし、結婚生活も束の間、ある日、裸足で遠い道のりを歩いて、昔入院していた病院に助けを求めて現われたそうです。病気が再発したのです。当時は家族も妹も病気に対する認識が薄く、結婚と共に入った婚家では薬も飲むことができず病気が再発しました。以後は、狂気と正気の境目を行き来、ありとあらゆる治療を試され、その副作用で首が曲がって前を向いて歩けない。よだれが止まらない。と見るも無残な状況となりました。最後は電気ショック療法まで試され、その恐ろしさに打ち震え、病気と薬の副作用で、まともに考えることもできないという状態となりました。私が就職して暫くして父が亡くなり、その騒動の中で一旦帰った郷里では、母と妹が待っていました。

大学に行ってから暫く離れ離れだった息子が帰ってきてくれた。暫く一緒に暮らし、会社が休みの時は、母と妹を連れて色々なところを旅行しました。妹はほとんど考えられない頭でも兄がここに居るということを真から喜び、子供のように振舞いました。もう30近い病気の娘が見せた子供のような笑顔、今でも忘れません。
しかし、この生活の中で、なかなか自分らしい暮らしができない。会社には、研究職から営業職への転向でも構わないと無理を言って戻してもらった郷里でしたが、自分の将来を考えた時、好きな事ができないと母に話しました。母も、もともと無口で技術一辺倒だった息子が、営業という慣れない仕事で悩んでいる息子を見て忍びなくなってきたようです。また、少しの間でも永く離れていた息子と一緒に暮らせたということで決心もついたようです。「もう、無理をしないでお前が好きなようにしなさい」という言葉と共に私は再度東京へ舞い戻り技術職に戻りました。そして、今の家内にめぐり会い結婚。そして、未来が産まれました。

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今日のそら

070122_20550001 相手にしないでいたら私の布団で寝てしまいました。

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2007年1月19日 (金)

大病院で

紹介されて行ったのが近くの大病院でした。そこの神経科と言うところに行きました。神経科の待合室には沢山の人が待っていました。皆深刻な顔をしていました。じっと身じろぎもせず下を向いたままの人、ずっと貧乏ゆすりのように手足をばたばたさせている人、ハンバーガーなど色々な食料を持ってきて食べ続けている人、目が会うといきなりつかつかと寄ってきて睨みつける人、色々な人が居ました。娘と家内と私で空いている席を探して座ろうとしたのですが、なかなか空いていない。娘が「皆が私を注目している」と怖がるので、できるだけ端の席を探して座って待っていました。初診ということで、まず心理療法士の方が心理テストを行うことになりました。心理療法士の方が迎えに来て、娘と二人部屋に入って、暫くして出てきました。娘いわく、「あの人、何を言っているのかわからない」 その後、先生との面接が有りました。先生、「テストの結果、どうも言葉の理解力が低いようです」 私、「それは知能が遅れているということですか?」 私は合点が行きませんでした。と言うのは、娘は小学校の頃から成績優秀で、成績表もほとんどがA。中学校の保健室登校でも、毎日、図書室から本を借りて読んでいて、保健室の先生からは「未来ちゃん、読書家だから..」と言われていたのです。これだけ本を読む子が頭が悪い訳がない。そんなことはないと思いました。先生、「いや、病気の為、そういった能力が落ちているということです」 私は、最初何のことかわかりませんでした。先生「統合失調症の可能性があります」 私、「えっ」と絶句。そうです。統合失調症=精神分裂病。確かに、言われてみると、そう思いました。一度、ショッピングセンターへ行った時、娘は途中で泣き出して車に戻ったことが有ります。折角来たショッピングセンター。私は、「折角来たのに..」と怒りました。娘、「みんなが私を見て笑っている」 私、「...」 「じゃ、帰ろう」 この時、ふと、妹のことが頭をよぎったのが、当たっていた。実は、私の妹も、この病気と戦っています。もう30年近く。まさか、私の娘も、この病気を発症するとは夢にも思わなかった。晴天の霹靂です。30年前の妹のことを思い出しました。

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2007年1月16日 (火)

小児病棟

未来は近くの病院の小児病棟へ運び込まれていました。胃を洗浄して、なんとか一命を取りとめたようです。ただ、どれだけ薬を吸収しているかわからない。様態が急変するかもしれないと、暫く入院することになりました。何故、このようなことになったのか?最初は、遠足をすごく楽しみにしていたのですが、その日が近づくに従い不安がどんどん増して、前の日に「やはり、行けない。でも、皆の期待が大きい」ということで自暴自棄になってしまったようです。自殺未遂ということで、また何かしないかと家内が一緒に付き添うことになりました。丁度、5月の連休だったので、私も休み。毎朝、昼、晩と面会。未来は少しずつ元気を取り戻しました。1週間後、本当に退院しても大丈夫かと、心療内科の先生が娘の精神鑑定をすることになりました。診断テストをして、その後、先生から、「どうも大変な病気のようです。うちの病院では対応できそうもありません。中央病院に専門の診療科がありますので、そちらへ行ってみてください」と紹介状を書いてくださいました。

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2007年1月15日 (月)

ある日

中学校1年の娘(未来)は、最近、学校を休みがちです。中学校へ入って最初の頃は何とか登校したのですが、そのうち「皆が私を笑っている。怖い」とか言って愚図るようになりました。毎朝、すったもんだの末、最後は「じゃ、明日はちゃんと行くのよ」、「判った。明日はちゃんと行くよ」ということの繰り返し。学校が嫌になったのかな?勉強が嫌いになったのかな?..と思うのですが、そうでもない。毎朝、自分で制服に着替え、もう行ける状態になりながら、玄関の前まで行って「やはり、今日も行けない」と座り込んでしまいます。これはどうしたものだろう。誰かに、いじめられているのだろうか?学校へ行って相談もしました。でも、そういう状況はない。娘は小学校の頃から、その温厚で明るい性格の為、お友達が沢山居ました。娘が休みがちだと、皆心配して、家まで迎えに来てくれます。今日もたまちゃんが学校へ行くのに誘いにきてくれました。でも、行けない。学校の先生と相談しました。「どうも教室へ入るのが怖いようです。じゃ、出席日数のこともあるので、保健室へ登校することで様子を見ましょう」ということになりました。家内が付き添って保健室登校。休むことも有ったのですが、何とか登校。1年生の間は、ずっと、この状態が続きました。2年生になって。学校は、娘の事を考えてくれて、小学校の頃、娘が仲良しだった子を同じクラスにしてくれました。娘は「たまちゃんも、めぐちゃんも一緒。今度からは絶対にクラスに入れる」と大喜び。でも、その喜びも束の間..すぐに同じ状態になってしまいました。毎朝、登校しようとして、あと一歩が出ない。また、保健室登校となりました。でも、娘は教室へ入りたい。皆と仲良くしたい。そう考えていたのでしょう。5月の連休頃に遠足があります。沢山のお友達が誘ってくれました。教室、勉強は駄目でも遠足なら大丈夫。「お友達と仲良く歩いて、それをきっかけに教室へ入ろう」と、家族で話し合いました。遠足のお弁当は何を入れてあげようか..色々考え、娘も家内も楽しみにしていました。ところが遠足の日の前日、突然、私の会社へ家内から電話が来ました。家内、「大変、私が外へ出ている隙に、未来が、私のアレルギー予防薬を全部飲んでしまったのよ。このままでは死んでしまう」私、「とにかく救急車を呼びなさい。今すぐ帰るから..」。電車に飛び乗り2時間の道のりを帰りました。「何とか生きていてくれよ」

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2007年1月14日 (日)

ご飯を待つそら

Photo お座りしてご飯を待っているそらです。

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2007年1月13日 (土)

交通事故の猫

ある朝出勤する際のことです。マンション前の路上で、青年男女が4人ほど猫を取り巻いています。そこには下半身が異様に曲がった猫。「どうしたの?」と聞くと、茶髪に白い毛が混じっている理解不能なファッションの女の子が「猫が交通事故にあったみたいなんです。かわいそうなので捕まえようと思うんだけど、すごい怒ってるからダメなの」と答えます。

やせ細って汚れていて、どうみてものら猫。生後まもなく捨てられたのでしょう。頑張って、ここまで生き延びてきたのでしょうが、人間をひどく恐れているようで、こんな体にも関わらず捕まえられないようにと必死で抵抗しています。

「おじさんがやってみよう」と捕まえに行きました。フーッ、ガブッ。何度も噛まれて手は血だらけ、ここで怯んでなるものかと押さえつけ仰向けに抱き上げ、ぎゅっと抱きしめたらおとなしくなりました。でも、まだ警戒を解かない様子で、じっとこちらを睨んでいます。でも、体は小刻みに震えて、その目には涙がいっぱい溢れていました。

「時間外でも対応してくれる病院を知っているから、そこへ連れて行く」と言うと、若者達は「やったー!」と大喜び。

猫を抱えたおじさんを囲むように若者4人がゾロゾロ歩いて行きます。「おじさん、ここのマンションの人だよね。何号室?」「***号室だよ」「僕、○○○号室なんです。よろしく」「ああ、知っているよ」。でも、このお宅は最近引越してきたこともあって、あまり親しくしていませんでした。子供は腰パン(ズボンを引きずるスタイル)、ピアスという外見で、それを訝しがる住戸もありました。でも、私は「現代の若者だな。遊びたい年頃だ」くらいしか思っていませんでしたが、その子が愁傷にも“猫助け”です。通り過ぎてゆく人たちの冷ややかな視線を物ともせず、猫を助けようとしています。

病院へ着いて獣医を叩き起こしました。「治療すれば命は助かりますが、脊髄がやられているから後ろ足は立たないですね。下半身不随となり、うんち、おしっこも難しいでしょう」という見立てに一同沈黙。

くだんの男の子が、「友だちに飼い主を探すのが上手いやつがいるから、そいつに頼もう」と言います。でも、「半身不随の猫を看るのって大変だよ。うんち、おしっこの始末もしてやらなければならないし、一日中目が離せない。そんな猫を世話するという人が居る? 一度飼い始めたら、駄目だからと、そこらに捨てるというわけにいかないんだよ」と、獣医が諭します。またまた、一同沈黙。「道路で、また轢かれたり苦しみながら死ぬよりも、こうやって、ここまで連れて来ただけでも良かった。そう考える事はできない」

そうこうするうちにも時間は過ぎていきます。「先生、申し訳ないですが、会社があるので、あとはお願いします」「わかりました。でも、あなたの手の方が心配。すぐにお医者さんに行ってください。腫れてしまうかもしれない」「大丈夫、大丈夫。慣れていますから」と、私は病院を出ました。ふと服を見ると、あちらこちらに血が・・・。これでは会社へ行けないと家に引き返しました。

◇現実◇

家で応急措置をしていると、「ちゃんと病院へ行った方が良いよ」と、家内が言います。そこで、出社が遅れることを会社に連絡し、病院に行きました。治療を終えて会社へ向かいましたが、気になって仕方がないので、動物病院へ寄りました。

「猫はどうなりましたか?」

「かわいそうだけど、安楽死させました。」

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2007年1月 8日 (月)

今日のそら

070107_19580002 相手にしないでいたら寝てしまいました。

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2007年1月 6日 (土)

うちのそら

うちのそらです。Sora_small2

シーズーの雌です。

今年で3歳になります。

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まだ見ぬ人へ

ワンワン。また、愛犬そらに起こされた。「わかった。わかった。朝の散歩だね。」

私の朝の日課である。昔ほど元気ではないが、そらとの散歩のおかげで健康が保てているようだ。そらにリードをつけると自らバックに飛び込んでくる。バックを担いでよっこらしょ。

マンションの廊下に出る。廊下の手すりを伝いながら歩く。歩きながら「このマンションも、もう築30年を超えたな。」と思った。築30年以上のマンションの建替えをスムーズに進められるようにとマンション建替え円滑化法ができた20年前の頃を思い出す。

あの時は、娘が不治の病になり、もう娘の病気は治らないと覚悟を決め、親亡き後も娘が幸せに暮らしてゆけるようにと色々考えた。少なくとも住処である、このマンションにずっと住んでゆけるようにと長期修繕計画を練り直した。築60年以降に建替え、そのときに一時金が発生し、払えない為にマンションを追い出されないようにと考えた。更に年老いて行く住人、娘の為に、マンション全体をバリアフリーにした。

マンション管理士である私は、この経過を自らのホームページで情報発信。内容をまとめた本がベストセラーとなった。現役を退いた私は自主管理となった我がマンションの管理者となり事務をやる傍ら、20年前にマンション管理士有志達と立ち上げたホームページサイトを通してくるマンション住人達の相談事にコメントを書いている。

あのサイトのおかげで分譲マンションの世界が変わった。分譲マンションを買う人は、マンションの耐震構造にも注意を払うようになった。マンション管理への関心が高まり良好に維持されるマンションが増えた。マンション内には、私が勤めた会社の最後の仕事として関わったマンション内電子情報システムが稼動している。地上デジタル放送に対応して普及したデジタルTVを通してマンション内の情報を観る。このシステムのおかげで、一人住まいの老人の状況もすぐに判るようになった。お知らせ情報が住人のコミュニケーションにも一役買っている。

マンションの外に出た。そらは歳老いた私に気遣いながらゆっくり歩いてくれる。遠くから声がした。「そら! おじいちゃん。おはよう。」早起きの孫が、また一緒に散歩してくれようと来てくれていた。私「ママは?」、孫「付き合いきれないからと、家で寝ているよ。」

ママとは私の娘の事である。そう、娘は結婚したのである。あれから、医学のめざましい進歩により不治の病と思っていた娘の病気が治った。そして普通に暮らせるようになった。今は、結婚して近くに所帯を持って幸せに暮らしている。娘の幸せが何よりだ。両家、そろってたった一人の孫娘の行く末を案じながら亡くなった母は天国で微笑んでいるだろう。

散歩から帰ったら家内が迎えてくれた。20年前、自分の母と娘の介護に明け暮れ疲れきっていた家内も、今は幸せそうだ。「今度、暖かくなったら、二人でゆっくり北海道を旅行したいね。」実家へ帰りがてら親子三人でまわった北海道旅行が懐かしい。

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