2008年2月 3日 (日)

洋服を作ってもらいました。

http://bizkotaro.ocnk.net/で洋服を作ってもらいました。

Hi380021_small 女の子らしくなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月19日 (土)

急性期

薬のせいか、病気のせいか、娘の状態は悪化しました。「寝てもいられない。起きてもいられない。」娘は部屋でちょっと寝たかと思うとまた起きてきます。何かいらだっているようで時には頭を壁に打ち付けます。道路で突然はいつくばって頭を道路に打ち付けます。腕はリストカットで傷だらけ...。神経科の先生からは「少しずつ薬が効いてきたら落ち着く筈」と言われましたが何時になっても良くなりません。少しでも寝かせてあげようと、私は会社から帰ると家族(私、家内、娘)の三人でドライブをしました。娘が小さい時に夜鳴きが酷いと車に乗せて家の周りをグルグル廻ったのを思い出したからです。車の振動音が胎内の音に近いのか、いつも暫くすると落ち着いてすやすやと寝ました。これがうまく行くか? 娘を後ろの席に乗せて家族でドライブ。娘は、今、自分が醜い、太っていると思っており、ほとんど食事を採りません。毎日、カロリーメイト1本くらいしか食べません。何とか食べさせようとすると暴れます。そこでドライブの時、先ず近くのアイス屋さんでソフトクリームを買って食べながらドライブをすることにしました。アイスなら水のようだから太らないよ」と...。 午後9時頃からドライブ、約1時間くらい走ると娘はうつらうつらしてきます。そこで「じゃ、帰って寝ようか」。帰って娘を寝かせて、午後12時頃に就寝。でも、また午前5時頃、娘が起きてきます。「ドライブ?」、娘はうなづきます。家内は寝ているので、私と娘でドライブに出ます。娘は後ろの席で、ボーっと前を向いたまま...。少しでも楽しくドライブしようと「あっ、ワンちゃんの散歩だ!」とか、色々話ながら走るのですが、娘はずっとボーっと座ったまま...そのうち、こくりこくりとしだします。そこで帰って、また、寝かせ、出社。毎日、アイスを買ってドライブ。夏に始まった、この行事が冬、クリスマスの頃まで続きました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年5月 6日 (日)

ジプレキサ

「統合失調症」

あまりにも簡単にひとことで言われてしまい、頭の中がぐるぐると混乱しました。家内も同様な様子でした。

次回の診察の予約をして、薬を貰ってぼ~っとしたまま帰りました。先生から「ジプレキサ」という薬を出されました。非定型向精神薬。新薬と聞きました。先生からは、頭がぼわっとしたり、吐き気がしたり、副作用が出るかもしれないと言われました。向精神薬と聞いて、妹のことを思い出しました。妹は向精神薬の副作用で首が曲がって前を向いて歩けません。まっすぐ歩けず足首に炎症も起きました。他に涎が止まらないなど見るからに障害者という状態となりました。娘も、この薬で妹と同じようになるのかと怖くて堪りませんでした。

薬を飲んで暫くして娘は「からだがむずむずする」と言いました。「でも、そのうち慣れてくるよ」と私は言いました。夜中の12時頃、トイレから娘が助けを呼ぶ声がしました。家内と駆けつけてみると、そこにはトイレに吐くように、うつぶせた娘が居ました。「気持ちが悪い。吐きたいけど吐けない」、顔は真っ青で、まるで紙のようでした。あまりにも酷い様子だったので、夜間やっている病院に娘を連れて行きました。病院では、やはり服用し始めた薬のせいだと思うので、明日にでも、もう一度そこの病院に行くようにと言われました。

帰宅後娘は少し寝ました。翌日ジプレキサを出してくれた神経科のある病院に再度行きました。かなり待ったのは言うまでもありません。○○先生は「副作用ですね。だんだん体が慣れてくるので様子を見て下さい」と言いました。それからしばらくの間、学校(相談室)に娘を連れて行くとき、娘が道の途中でしゃがみこんで、胸が苦しいと訴えたり、頭が痛いと言ったり、それはそれは数えきれない位の副作用があったと家内から聞きました。当時はジプレキサを1日3回だったと記憶していますが、統合失調症という病気のために、薬で苦しんでいる娘を見るのは忍びない気持ちでした

| | コメント (0) | トラックバック (0)

そらの顔

070502_092900010001 そらの似顔作ろうと思って、アップで写真を撮りました。

可愛い顔をしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

足がドロドロ

070506_06200001 今日も、朝にドッグランに行きました。

草が朝露に濡れていて、走るたびに足がドロドロになりました。

他にミニチュアダックスくん、ボーダーコリーくんが来ていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 5日 (土)

今日のそら

070503_05120001_1 塩原温泉「福久寿苑」という旅館に行きました。

この宿はペットOK、食事も部屋に運んでいただけるので

最高です。朝、そらと散歩に行ってせせらぎの淵で写真を撮りました。

ちょっと太ったかな?

070501_073900012_1 連休中はパパが何時も居るので、そらはご機嫌です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドッグラン

  070430_16060001 070430_16020001

4月から近所にドッグランが出来ました。
予てから、近くの中央公園が犬の遊び場と化していた事が気になり、市長、地元の市議に提案していたものです。

市議選が有ったせいもあり、開設前には市議が直々に挨拶に来て、少しは私の提案も役に立ったのかな?と思っていました。

ただ、そうは言っても仕事が忙しくなかなか見に行けなく、この連休の4月30日にやっと見に行けました。

ドッグランは家から1Kmくらい離れた場所、高校のグラウンド、運動公園の片隅に設置されていました。

ドッグランは、一般犬エリア(50m四方くらい)と小型犬エリア(その半分くらい)の二つがあり、柵で仕切られていました。

一般犬エリアにはゴールデンなど大きな犬、小型犬エリアには、ダックス、シーズー、パグなど...

開設当初は、少し広報でお知らせが有ったのですが、周囲にはドッグランがあるという標識もなく、目の前に行ってやっと判ったくらいです。

ただ、これを聞きつけた人、人伝に知った人が沢山いたようで、ドッグランは大賑わいでした。

また、
うちの犬もそうなのですが、最近の犬は犬が苦手とのこと小型犬エリアでも中に入って暫く呆然と立ち尽くしているワンちゃんが多く、ドッグランでは活発に犬が走り回っているという構図とは大分予想が違いました。

飼い主のマナーは良く、糞とかはまったく無かったです。ただ、最近のブームのせいか車で来た方が帰る間際に蛇口で小犬の足を洗って車に乗せていたのが印象的。

場所がわかったので、今朝、またうちの「そら」を連れて、行きました。公共の施設なので朝晩はどうしているのかな?錠でも掛けてあるのかな?と興味があったからです。

行ってみると全然、錠も掛かっていなく、朝の犬の集まりが出来ていました。
皆、一般犬エリアに入って親しげにペット談義に花を咲かせていました。

私は小型犬エリアに「そら」と入ってリードを外しました。普段、外でリードを外すということがないので、「そら」は心もとなげに、ずっと私の後に付いて歩き回りました。

今度行くときは、ボールかおもちゃでも持って行こうかな..

| | コメント (0) | トラックバック (1)

痛恨な思い

色々な場面で妹のことを隠したりしたことは無かったです。

でも、結婚相手から「式への参列は遠慮して欲しい」と言われ、「何故?」と一時は、それなら結婚も止めようと言う話まで行きました。

けど、母は「今駄目でも、そのうち、ちゃんと理解してくれる日が来るから、あまり意地を張らなくても良いよ。」と言ってくれました。

でも、結婚式の当日、もしやと母は妹を連れて北海道から上京して、結婚式、披露宴の間、妹は独りホテルの一室で待っていました。

宴の途中で会いに行った時、笑顔で迎えてくれた妹の部屋にピンクのスーツがかかっていたのを今でも忘れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月26日 (金)

娘の名前は未来(仮名)と言います。本当に可愛い娘です。娘は私に似て頑固、潔癖症、正義感が強い。でも、世話好きで、幼稚園の年長の頃は、率先して年少の子達のお世話をしてやり、沢山の親御さんから感謝されました。小学校に入ってからも、その癖は抜けなく低学年の子のお世話、また、人付き合いも良く、その温厚な性格から沢山のお友達ができました。一方、負けず嫌いでもあり、ピアノ教室の発表会などでは、いつもひとつ難しい課題に取り組んで頑張っていました。ですから、この娘が...とは信じられないのです。でも、母が妹の話をするとき、いつも「うちの兄妹の中で一番育てやすかったのに...」という言葉を思い出します。すごく親思い、両親が喧嘩などすると、いつも自分のせいじゃないかと割って入ってきました。その娘が、小学校5,6年頃から、少し学校を休みがちになり、どうしたものかとも思っていました。何度か先生にも相談しましたが、娘の性格、お友達状況などから考えてもいじめに会っているとは到底思えない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月24日 (水)

私の妹は二十歳ころに統合失調症を発症し、もう30年近く苦しんでいます。

妹が病気になったときは、私は東京の大学にいました。

郷里から伝え聞いたのは、妹がノイローゼとなり暫く入院した。今は退院してアルバイトをしている。そういったことでした。妹は退院後、アルバイト先で良い人とめぐり合い結婚しました。しかし、結婚生活も束の間、ある日、裸足で遠い道のりを歩いて、昔入院していた病院に助けを求めて現われたそうです。病気が再発したのです。当時は家族も妹も病気に対する認識が薄く、結婚と共に入った婚家では薬も飲むことができず病気が再発しました。以後は、狂気と正気の境目を行き来、ありとあらゆる治療を試され、その副作用で首が曲がって前を向いて歩けない。よだれが止まらない。と見るも無残な状況となりました。最後は電気ショック療法まで試され、その恐ろしさに打ち震え、病気と薬の副作用で、まともに考えることもできないという状態となりました。私が就職して暫くして父が亡くなり、その騒動の中で一旦帰った郷里では、母と妹が待っていました。

大学に行ってから暫く離れ離れだった息子が帰ってきてくれた。暫く一緒に暮らし、会社が休みの時は、母と妹を連れて色々なところを旅行しました。妹はほとんど考えられない頭でも兄がここに居るということを真から喜び、子供のように振舞いました。もう30近い病気の娘が見せた子供のような笑顔、今でも忘れません。
しかし、この生活の中で、なかなか自分らしい暮らしができない。会社には、研究職から営業職への転向でも構わないと無理を言って戻してもらった郷里でしたが、自分の将来を考えた時、好きな事ができないと母に話しました。母も、もともと無口で技術一辺倒だった息子が、営業という慣れない仕事で悩んでいる息子を見て忍びなくなってきたようです。また、少しの間でも永く離れていた息子と一緒に暮らせたということで決心もついたようです。「もう、無理をしないでお前が好きなようにしなさい」という言葉と共に私は再度東京へ舞い戻り技術職に戻りました。そして、今の家内にめぐり会い結婚。そして、未来が産まれました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«今日のそら